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ヘア関連はもちろん、美容と健康に関する“ことや物”にSPOTを当てた情報をお伝えします。

大切な道具②


今回も鋏のお話です✂︎✂︎

私の美容師のキャリアは、高校を卒業してすぐに地元の美容室に見習いとして勤めたところから始まりました。(その後、地元の美容学校の通信課程に入校します。)

右も左も分からない私に、プロの洗礼がビシバシと突き刺さります。徒弟制の名残りがまだまだ見られたその当時。「仕事は見て覚えるのが当たり前。聞くより前に考えろ。」

そんな環境に慣れるのはずっとずっと後のこと。

とにかく懸命に走り続ける日々。「先輩に気が遣えなくて、お客様の心の動きに気がつけるはずがないだろう。」と叱責される毎日。

「とんでもないところに来てしまった。いつ辞めよう。」毎日そんなことばかり考えていました。

それでも「自分で決めた道。スタイリストになるまでは頑張ろう。」めげそうな自分をなんとか奮い立たせて、サロンに立ちました。

そんなある日事件が起きます。

厳しい諸先輩の中で一際厳しいAさん。Aさんが1人のお客様をお仕上げして、お見送りに行かれました。

「そうだ、この間にAさんの鋏をはじめブラシなどの道具を片付けよう。」

と短絡的に思った私。これが悲劇の始まりでした。

セーム革で丁寧に鋏を一丁ずつ拭き、鋏台に置きます。そういえばプロが使う鋏を触るのは初めてです。なんだかとってもドキドキしたのを昨日のことのように覚えています。

と、その時です。

鬼の形相でAさんが現れます。営業中、しかも結構忙しい日。私がAさんの鋏を片付けていることを誰も気が付いていなかったことも悲劇を後押ししたのでした。(大袈裟💦)

Aさんは小声ですが怒気を含んだ声で「ちょっとバックルーム」と一言。

私は事態が飲み込めていません。ただ、Aさんがバックルームに呼ぶときは決まって私が何かをやらかしたときです。

悪寒が背中を突き抜けました。しかも今までで最大級です。

心臓がバクバクと鼓動を立てはじめました。口から心臓が出てきそうです。

それでもバックルームに向かわなければ行けません。

意を決して、「失礼します、、、」蚊の鳴くような声で入りました。

そこには仁王立ちのAさん。小柄なAさんがティラノサウルス🦖ぐらいに大きく感じました。

とっさに「申し訳ありませんでした!」となんだかよくわからないのに謝っていました。

するとAさんは「わかってるのになんでやった‼️」

もう怖くて怖くて泣き出しそうです。ちょっと前まで、のほほんと呑気な高校生だった私。このときは「もう今日限りでおしまいにしよう。スタイリストなんて夢のまた夢。

さようなら〜」

と、そんな心の声が頭の中をグルグル駆け巡っていました。

「す、すみません、、何をやってしまったのか実はわかっていません、、」

「わかってないのに謝るな!」

そんな、、そんなこと言ったって、、

「鋏」

え?

「鋏だよ」

はい?

「私たちにとっての鋏は命だよ。命は自分で守るもんだ。」

「覚えておきな!」

ははーーー

っとひれ伏す私。

(ちなみにAさんは女性です。)

そうなんです。

Aさんが教えてくれたのは、鋏は自分たちにとって命も同然。それだけ神聖なもの。だから誰にも触らせない。とにかく大切に扱うべきもの。感謝すべきもの。

だったのです。

そのAさんの教えは今も生きています。

一人のお客様がお帰りになられたら丁寧に拭いて消毒をするのは当たり前。営業が終わった後はどんなに遅くなっても、分解して掃除して油を刺します。

少しでも切れ味に異変が感じられたらすぐに研ぎ師さんに出します。

そして多くの美容師さんたちが使う腰に下げるシザーケースを私は使いません。

鋏が傷むからです。

もしかしたらそんなことはない、と言う人もいるかもしれません。

けれども私にとっての鋏はとても神聖なもの。

とても腰に下げるケースに入れる気にはなりません。

鬼のように厳しかったAさん。

言葉は少なくとにかく怖かったのですが、彼女の背中からいろんな事を学ばせてもらいました。

ここまで来れたのは間違いなく、Aさんをはじめ厳しい諸先輩方のおかげです。

私がスタイリストデビューした直後のとある日の営業終了後、いつものバックルームに久しぶり呼ばれました。その頃にはあまり怒られることは無くなっていたのですが、「あれ?なんか俺やらかした?」

ちょっと久しぶりに心臓の鼓動が早まりました。

「し失礼します、、」

「はい、これあげる。」

Aさんの手には桐の箱が。

美容師ならそれがなんの箱なのかすぐにわかります。

そうです。鋏の箱です。

「え?いいんですか?」

「いいに決まってるだろう。早くもらいなさい!」

正直申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも断る理由など見つからず、ありがたくいただきました。

スタイリストデビューしたとはいえ、お給料は、アシスタントとほとんど変わらず。鋏屋さんに来てもらって、使いやすそうな鋏を店長に見繕ってもらっては見たものの、とても支払いできそうにありません。何百体ものカットウイッグやその他の道具代で、その時すでにローン地獄の私にはとても新たにローンを組む余裕などありません。

本当はデビューしてすぐに買いたかったその鋏。もう1年我慢することにしていました。

恐らくはそんな様子を察してくれてのサプライズ。

しかも、その鋏、入店直後にカミナリを落とされた時のものです。

私のドキドキが嬉しくて心が躍るドキドキに変わりました。

いつもクールなAさん。そのときの言葉もきっと照れ隠し。

「私の手には大きすぎるんだよね、あんたならちょうどいいでしょ。」

「ま、使い古しだから何年か使ったら自分で買いな。」

私は知っていました。

Aさんが敢えて手に余る様なサイズの鋏が好きなことを。

使い古しだなんてとんでもない。誰よりも時間をかけてお手入れする姿をずっと見ていました。

(Aさん、ありがとうございます!この御恩はいただいた鋏で沢山のお客様に喜んでいただく事でお返しですね!)

そう、心で呟きました。

その時、ニヤッと微笑んだAさん。

あれ?心の声が聞こえたのかな?なーんて。

さらにサプライズは続きます。

今度はAさんの鋏台のところに連れて行かれました。

「もうだいぶ使い込んだしちょうど新しいの設えたから、これもあげる。」

なんと、命と同等に大切な鋏の中からさらにもう一丁、梳き鋏をプレゼントしてくれたのです。

今、キャリアを積んでわかることは、使い込んでいたなんて言うのは大嘘です。手入れが行き届いていれば刃が付けられるだけずっと使えます。しかも違う種類を買うならまだしも、気に入っている系統の鋏と同系のものをを買い替えるなんてあり得ません。

今私は、用途により8丁の鋏を使い分けていますが、最低限2丁の鋏は必須です。

メインで使うシザーズが一丁と梳き鋏が一丁。(今では仕上げ様にドライカットシザーも必要です。)

練習用に使っていた鋏が2丁。(練習用として売られているわけではありません。安価なものを練習用として使うことが多いです。)使えなくはありません。ただ、「お客様のために本当に良い仕事をしたい。」プロの端くれとしてどうなのだろう?

仕事にこだわるとは、道具にもこだわることなのではないだろうか?

間違っているのかそうではないのかはわかりません。

が、その様な意識を持つことはプロとしてとても大切なことではないか、と思っていました。

だから手入れしているとはいえ練習用に使っていた鋏を営業で使っていることに何か後ろめたい様な気持ちを持っていました。

だからこそ、本当に嬉しかったことを今でも昨日のことの様に想い出せます。

そし,その2丁の鋏は今はある1人の後輩へ、そしてそれからそのまた後輩へと受け継がれていきます。(その後も私の知らない後輩達へと引き継がれていることでしょう。)

私がスタイリストデビューしてから程なくそのお店を辞められたAさん。

直接言えばいいのにシャイなAさんは他の先輩に私への伝言を残します。

「あなたが教えることになるであろう後輩で同じような境遇でスタイルストデビューする子がいると思う。この鋏はそんな子たちに使っていって欲しい。」

実はその話を教えてくれた先輩のTさんもAさんから鋏を譲り受けていたことをその時に教えてくださいました。

他にももう1人の先輩がAさんからの鋏を譲り受けていたこともその時に知りました。

私も今は1人でずっとやっていますが、勤めていたときは沢山の後輩を指導する立場でした。

Aさんから譲り受けた鋏はある後輩に譲りましたが他にも数名ほどの後輩に、Aさんがしてくれたように、私の鋏を譲りました。

偉大なるAさん。

今なら探そうと思えば簡単に見つけられるかもしれません。

でも、まだ敢えてそれはしたくない。そんな自分がいます。

Aさんのメンタルに遠く及ばない。そう思うからです。

いつか、Aさんや同じように鋏を譲られた先輩たち、また譲った後輩たち一同に会してお酒を酌み交わす日が来るといいな。

追記

後で聞いた話ですが、Aさんはことのほか私のことを気にかけてくれていたようです。

Aさんは家庭の事情で中学を卒業されてすぐにこの道に入った方です。

私は高卒でしたが、やはり家の事情で専門学校には行かずすぐにサロンの門をたたきました。

そんな経緯からか影ではずいぶん応援してくださっていたのです。

店内の技術検定の検定員だったAさん。「絶対受かったと」思った時もことごとく落とされました。その時は「俺相当嫌われてるんだろうな、くそ〜見返してやる!」と、逆にスイッチが入りました。

これも後から聞いた話なのですが、私だけ何故か及第点のハードルが上げられていた、と言うのです。それには理由があって、元来感覚派の私がスタイリストになった先のことを考えてくれていたから、と言うのです。

わかりづらいかもしれませんが、私のような感覚派は、フィーリングと感覚でデザイニングする傾向があります。頭でっかちのガチガチマニュアル派よりも応用力があるのですが、なまじ創れちゃう分、理論が疎かになりがち。

初めはそれでもいいかもしれないのですが、絶対後から手詰まりになる。

実際、その後札幌に出てきて目を奪われた心の師匠のTさんはフレンチカッター。

やることなすことまるで違う。やっぱりそこで役に立ったのが、修業時代の基礎力です。

感覚ではなく頭で理解できた。これは本当にAさんのおかげ以外の何者でもありません。

お店側としてはスタイリスト不足で早くあげてほしいと相当せっつかれていたようです。でも頑として受け入れなかったAさん。

あの時中途半端にスタイリストデビューしていたら途中で行き詰まって、この道を離れてしまっていたかもしれません。

本当、Aさんには感謝しかありません。

鬼のように怖くて影では本当に“鬼“と呼ばれていたAさん。

本当は誰よりも暖かく深く大きな心を持ったステキな方でした。

そしてその後、“鬼“の称号を受け継ぐことになろうとはこの時の私はまだ知るよしもありませんでした(笑)

そんな私の“鬼“エピソードはまたどこかの機会にね!

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